NOBU-log

無職で長野から上京し、日々の経験を記したブログです。

脳梗塞で倒れた父と一年半ぶりの晩酌

 今年のお盆も実家がある長野県松本市に帰省。

家の近くにある時計台↓

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昨年の年初に父が脳卒中で倒れ、

両親と会うことを今はとても大切にしている。

 

「親が死ぬかもしれない」という事実に直面した時、

自分の中で湧き上がってきた感情は

後悔の念。

 

まだ何も親孝行できていない・・・。

もっと話をすればよかった・・・。

言葉にして感謝を伝えたのはいつだったっけ・・・。

孫を抱いて欲しかった・・・。

 

一生懸命仕事したって、

どれだけ好きなことをやっていたって、

自分にとって一番大切なことを、

結局後回しにしているということを

突きつけられた出来事だった。

 

父は運が良く、

命に別状はなかった。

 でも・・・死んでもおかしくはなかった。

 

父は大工一筋のTHE職人。

見た目はいかつい訳でもなく、とにかく優しい。

 60代後半になってもとにかく元気でバリバリ仕事もしていた。

自分にとってはそんな親父が自慢でもあった。

 

ここからは実際に父が倒れた時の話。

 

ある日の夜、普段はあまり電話をしない兄から電話がかかっていた。

人間は不思議なもので、その時何か不吉な感じがした。

 

「親父が倒れた。これから手術をする。

でもお前は心配するな、俺が付いているから。」

 

兄貴はずっと両親の近くに住んで見守ってくれていて、

本当に頼りになって、そんな兄がいてくれるから自分は東京で好きなことが出来ている。

でもその時だけは兄の声が、かすかに震えていた。

 

手術は無事成功した。

倒れた時にたまたま近くに居てくれた母親と、

すぐ駆けつけた兄の対応がよかったことが一番の要因のようだった。

 

手術の成功の安堵感と同じくらい、

もし母親が近くにいなかったらという

恐怖感に苛まられた。

 

数日後、帰省した時に父言われた最初の言葉は、

「おーっ。いや、心配かけたなー。」

いつも通りでホッとした。

もっと心身ともに悪い状態をイメージしていたから余計にだった。

 

左半身に後遺症は残っていた。

でも、母親と2人3脚で笑い合いながらリハビリに取り組む姿をみて、

とても微笑ましい気持ちになったのと、

きっと、もっと元気になってくれると思えた。

 

こんなことを書いたら両親に怒られるかもしれないけど、

2人手を握り散歩しながらリハビリする姿を見て、

こんな夫婦になりたいなと思った。

 

帰省時よりも安心した気持ちで東京に戻る時、

1人ではまだ歩けなかった父が、

「近くのバス停まで見送る」といってきた。

「そんなんいいよ」と断っていたけれど、押しきられ、

見送ってもらうことにした。

 

バスが来て乗車する間際、

後ろにいた両親に

「じゃあ、またね」と振り返った時、

父が泣いていた。

声を振り絞って「ありがとう」と伝えてくれた。

 

多分だけど、

息子たちに心配をかけてしまったこととか色んな心情があったのだと思うけど、

こんな状態になってしまった自分が悔しかったんだと思う。

 

お父さん、生きててくれてありがとう。

 

倒れてから今回のお盆で約1年半。

父は一人で大工の仕事をする程回復していた。

大好きな車の運転もしていた。

本当にすごい父だ。

 

父はちょっとだけだったけど、

1年半ぶりに一緒に飲んだお酒は最高の瞬間だったよ。

来年はもうちょっとだけ量を増やしたお酒を一緒に飲もう。